本当の幸せって何だろうね?
上記記事に対する考察。
記事を要約すると下記
・親の収入が低いと子供の学習機会が奪われる
・ハングリー精神を持って這い上がれるのは一部
・教育の格差が貧困の格差を生み起こす
・貧困でも子供がやる気を失わない、教育が受けられる環境を用意する事が大事
個人的に思う事として、貧困=不幸なのか?と言う考えがあるが、
記事の結びに「日本の社会が持続的に発展していくためにも」とある。
つまり、本人(貧困家庭の子供や親)が「何に幸せを感じるか?」は置いておき、
あくまで「日本社会の持続的な成長」の為、ひいては「社会が成長しない事で不利益を被る人」の為に「貧困でも子供がやる気を失わない、教育が受けられる環境を用意する事が大事」と言う事を訴えている。
これは、一般的な格差社会に対する警鐘だ。
貧富の格差が大きくなると、記事の通り、貧困層はいくら働いても貧しいままとり、働く意欲が無くなり、経済活動が低下する。
経済活動を促進するための自由主義のはずが、結果として逆効果になってしまう。
このままでは、この記事にある通り、貧困が貧困を呼び富裕層との格差はさらに広がり、安倍内閣の提唱する一億総活躍社会は実現できない。
ただし、貧富の格差と言うのは資本主義の自由競争においては、どうしても発生しうるものであり、これを無くして「みんなが活躍できる社会ですよ」と言うのはちょっと無理があると思っている。
(この場合、活躍している「みんな」の陰に犠牲になるのは他国か?)
その為、格差に関してはあるものとして受け入れ、ただ、記事にある様な
「貧困でも子供がやる気を失わない、教育が受けられる環境」は用意し、
そしてその中で教育するのは「何を以って幸せと考えるか?」「1人1人は違う人間だ」と言う事だと考えている。
足の速い子、背の高い子、計算が得意な子、暗記が得意な子。これは個性だ。
そして、それと同じように、家が裕福だ。家が貧しい。親が公務員だ。親が社長だ。片親だ。と言うのも個性として捉えて行き、「私は周りの人とは違う。私は私。そして、その私の幸せは何だろう?」と考えさせる教育が必要だ。
やはり、当人が「何に対して幸せを感じるのか?」を考えないと、
結局は、社内の歯車の様に言われたことをやる人間だけが増え、社会にイノベーションが生まれない。
結果、国内の格差をなくしたとしても日本と他国の格差が逆に広がってしまうと考えている。
国内の格差是正はもちろんの事、日本と他国との格差にも注意を払って教育方針を決めて行ってはどうか。